「ジロ」がウチにやってきた!!
2003/06/01 Milano Masateru Yasuda
ジロ・デ・イタリアの季節がやってきました。何かが違う今年の「ジロ」レース中盤でマリオチッポリーニが転倒しレースから脱落。面白くなってきたレースが最終ステージ、我が町ミラノを舞台に繰り広げられた。
ジロのある1週間前ヨーロッパチャンピオンズリーグを勝ち抜いたサッカーのACミランの興奮が冷めないミラネーゼの目から見たイタリア最大の自転車レース「ジロ」のレポートです。
路面を見て欲しい、ゴール間際この石畳で最後のふるいにかけられる。カーボンディスクから「カンランコロン」と凄い音がするのだ。
ミラノ中心街にそびえるドォーモ、観光客でいつも賑わっているドォーモ広場にジロの最終個人TTミラノステージが始まる2週間前、スポンサーである新聞社の仮設テントが出現した。私は自転車を地下鉄の入り口のフェンスにくくりつけ中を覗いた。中はピンク一色でカワイイおネェーちゃんが受付に座っていてパネルには過去何年もの間のジロの歴史が展示してあった。間違えないで欲しいイタリアで一番ポピュラーなスポーツ紙は「ガゼッタ・デッロ・スポルト」と言って使われる紙が
ピンク色
なのだ。決していかがわしいテントではない。 この手のジロの歴史展示は時々ある、私は吸い込まれるように受付に直行してしまった。
今年のジロはいつもと少し違っていた。最終ステージはいつもミラノだが決してドォーモまでは来ない。これが主催者、関係者、しいては選手達の永年の夢であった。何週間もかけてイタリア中を周り最後ミラノのドォーモの前にたどり着き神に祝福されることが彼らの至上の喜びである。 ついに
今年はミラノの最終ステージが個人タイムトライアルとなり実現した。
このことは一般市民には知られておらずバールのおじさんや道行く人々はみな例年のコースである別の場所に選手達が来ると信じていたようだ。ゴールラインはドォーモ大聖堂に向かって右側に設けられドォーモの裏から選手達はたどり着く。
世界最大のゴシック建造物、ミラノ・ドォーモ大聖堂。残念ながら現在、全面改修中でこのような姿は見ることは出来ない。
ガゼッタ・デッロ・スポルト紙イベントテント
ステージの前に、自転車にまたがりドォーモから逆にスタート地点を目指しペダルを踏んでみた。大聖堂右横から後ろに抜けると、交通警察が忙しそうにコース上に路上駐車されたクルマをレッカー車で撤去していた。いつもなら木陰で昼寝をしている警官達だが前日ともなると忙しいそうだ。しかしコース上の全てのクルマを取り除くことはやはり無理で交差点や危険個所を重点に切符を切っているという、全世界にミラノが自動車で溢れていることがバレちゃうぞ、頑張ってくれ。
また今年は初めての個人TTということもありレッカー移動よりも長時間の交通整理でお巡りさん達はブーブー言っていた。それに選手一人一人に先導の白バイが付くのできっと警官の方が選手より多くコースを走っているに違いなかった。
「日曜だって言うのにさっ、特別勤務で一日中、交差点の真ん中で立ってなきゃいけないなんて・・トンだとばっちりだ。オレもドォーモ行って観戦したいよ・・」
そこから、ブランドショップで有名なモンテナポレオーネ通りの入り口を左に見ながらヴェネツィア通りを北上、大きな通りに自動車が来る隙を狙って地面に落書きをするファンクラブがいた。みな赤い帽子をかぶった「シモーニ」ファンクラブでイタリア全土に500人ものメンバーをかかえる。
おいいしいヨーグルトのジェラート屋さんがあるオーベルダン広場を南に折れ、古い高級アパートが並ぶ通りを道沿いに廻る。ここには有名な仕立て屋「マリオペコラ」も店と工房を構える。私もいつの日かここでスーツをあつらえたいものだ。
そしてこの通りはミラノ市の内環状でナビリオ運河に出る。今では毎週土曜日の蚤の市でたくさんの屋台がでるナビリオの船着き場、よく年代物の家具や自転車を見に行く場所だ。
こんなところを選手達は走ってくる。路面電車の軌道があったり石畳でボッコボコだったりタイヘンである。
その昔ミラノにたくさんの運河や湖があった証で実はドォーモ大聖堂を作るためにこの運河を建設したらしい。今でもラゲット(=貨物船)通りなど船や水に関係する名前が地名として残っている。見栄っ張りのイタリア人、どこよりも立派なドォーモを建てることに一生懸命だったのだ。
この運河のうち水の入ってくるほうを「ナビリオ・グランデ」と呼び、運河沿いに外環状に出るとそこはミラノいち危険なバス91番が走る通り。地元イタリア人ですらスリにあってしまうこのバスが周回する通りを東に折れ一路「リナーテ」空港方面へ。
そこはステージのスタート地点「イドロスカロ」。ここは戦前、飛行艇が発着した湖で、宮崎駿のアニメ「紅の豚」のアレである。途中コースに指定された道路に面する家々に張り紙がされてありクルマの使用と駐車が禁止される。至る所で警官に食ってかかる市民がたくさんいたがいくら頑張ってもそう、今日は「ジロ」なのだ。
デカイの描いてました。ウソかホントか500名も会員がいるそうです。
この自転車のお祭りは市民にも解放されていて、選手達が来る前に自転車で走ってしまおうという市民サイクリング開催された。このステージの最終区間、最も華やかな部分を私も木製自転車で走ってきた。大会の朝、集まってくるのは普通の自転車、どちらかと言えばちょっとボロイ自転車にまたがった普通の市民が数百人、どこからともなく集まってくる。
ガゼッタ・デッロ・スポルトのTシャツが配られ、若者だけではなくおじさん、おばさんもみんなそれぞれのママチャリにまたがりゆっくりとピンクの行列をつくりドォーモへ乗り入れた。
各チームのサポートカーを市民サイクリングの人たちが取り囲む、今日はサイクリストのフェスタなのだ。
実はサポートカーも白バイも選手がゴールすると次の選手のサポートと先導ですぐスタート地点に別のコースで引き返す。ココはゴール地点でこのサポートカーは大急ぎで選手の待つスタート地点に引き返すのだ。
ドォーモ広場のゴールラインにいるとスポンサーの車が大挙してやってくる。クルマの天井に大きなワインボトルを付けたものや、本物だったら3トンはあろうかという生ハムのおおきなディスプレーをつけたクルマが到着し沿道の観客にスポンサー名の入った帽子やグッズを振る舞う。私の隣にいた夫婦は人をかき分け帽子を10個もゲットしていた。フェンス越しに手を伸ばす人々、投げ込まれたグッズを取り合う大人達、まるで子供のようだがこれもジロの楽しみのひとつ。彼らは家に年代別に分けてコレクションしているそうだ。
私はスポンサーの車から降りてくるおネーちゃんに目が釘付けでグッズ争奪戦には参加できなかった。
こうして観客のテンションが上がったところで「ジロ・デ・イタリア」ミラノ最終ステージが始まった。
そこのアンタっ! 手にいくつ持ってんの?
ついに21のステージ3500kmを走破した選手がミラノのドォーモ大聖堂にたどり着いた。
全ステージのコース図
選手達はゴール後のインタビューで感想を聞かれ「今日から明日のレースを考えずに寝られる」といって言っていたのが忘れられない。
イタリア全土を一ヶ月にわたり縦断するジロ・デ・イタリア。ジロとは
GIRO
と書き、「廻る」という動詞
[Girare]
からくる。本当に彼らは3500キロを自転車でまわったのである。そんな彼らにミラノの市民は大いに拍手を送ってたたえた1日であった。
ゴールは突然現れる。ゴール直前300メートルで視界に巨大なゴシック建造物が飛び込んでくる
東京-鹿児島=1600kmだ。コレを往復すると3200kmとなりる。しかし彼らの走ったコースのほとんどは大変起伏の激しい標高2000mの峠を越えるコース。イタリア中央部を縦断して最後はアルプス山脈の南を通過する大変厳しいコースだ。みな走りきるだけでも凄いと私は思う。誰が勝ったなんてもうどうでも良くなってしまった。
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